fashionを通していろいろ考えるblog

ファッションブログだけど、キャピっとしてないし、おしゃれではないです。

共働きの理想と現実

復職して2か月。家事育児と仕事のバランスについて、なんだか悶々とした日々を過ごしています。

 

共働きの理想と現実

時短制度を利用し、1時間早く帰る契約をしているのですが、現実は30分の時短になってます。かなりバタバタするけど、このリズムにも慣れてきました。意外とできるもんですね。

旦那様はいわゆるイクメンで、家事も育児も協力的です。朝は早く起きて、ゴミ捨て、朝食・弁当の準備をしてくれ、夜は夜で残業後でもシンクに残った洗い物を片づけてくれます。週末は、一緒に掃除。掃除機嫌いな私に代わり、床担当は旦那様です。仕事を持ち帰ることも多いけど、家族との時間も大切にしてくれます。

 

なんて書くと、おっと、自慢ですか!?と言いたくなるような、とっても理想的な共働き夫婦像のような気もします。いいバランスで仕事できているようにも思います。家事育児のクオリティーを保ちつつ、できるだけの仕事時間を確保しているんじゃないかと。

 

でも、正直、私は不満なんです。なんか納得いってないんです。こんなにイクメンな旦那様なのに!?・・・て時に、この記事を読んだんですね。

育児のストレス、の一番て結局これじゃないか?と思ったこと。 - スズコ、考える。

 

育児のストレスについて、ものすごく深く考えて分かりやすく言語化されている文章に、ふむふむと読みふけってしまったのですが、その中でも、心がふごぉー!っと吠えた文章がこれ。 

  「私は自分の都合で動けないのに自由に予定を組んでいるダンナに腹が立つんだ!」

 

あ、そうか、これだ。私は時短制度を利用した、出張をしない働き方をせざるをえないのに、 旦那様の働き方はなんで変わらないんだ、と。当たり前のように残業をし、当たり前のように出張に行き、予定を確認することもなく接待や飲み会に行ける、ということが、羨ましくて腹が立っているんだ、と。

 

私だって、残業したい時があるのに!出張だってしたいのに! 

要は、私はもっと仕事がしたーい!のだ。

 

 

家族単位でキャリアを考える

復職する際、私はこの「夫婦で話し合い」という過程をすっ飛ばしました。「1時間の時短にするわー。保育園の送り迎えも私がするし。だって、無理でしょー。」って、一方的に報告しただけ。

今まで頼りにしていた母には頼れない。男性が育児のために仕事をセーブするなんて、ありえない。てか、私デザイナー、旦那様MD兼営業。共に正社員とはいえ、昇進のシステムのない嘱託社員と、いずれは課長になる可能性もある総合職とでは、そもそも立場が違う。(もちろん、お給料も。)

そうなると、望む望まざる関係なく、私が仕事をセーブするしかないじゃん!と一人で答えを導き出してしまいました。話し合ったって、この結論は変わらない、言ってもしょうがないと諦めて、理解ある妻を演じてしまったんですね。

 

でもね、それでもね、それでもやはり、「夫婦で話し合って決める」という過程は通るべきだったなー、と今となって思います。

それは結論を導くための話し合いというよりは、旦那様に気持ちを知ってもらうために。そして、自分に納得させるために。一人で消去法の発想で導き出された答えより、2人で建設的に考えた答えの方が、より自分に響いてくるものです。たとえ、結論は同じだとしても。

 

 

思い立ったが吉祥寺、旦那様に話しました。

ホントは時短勤務なんぞ望んでいないこと。勝手に諦めて、勝手に決めたことを後悔してること。話し合ったところで、結論は変わらないけど、やっぱり伝えておきたかったこと。

旦那様は、「ん~・・・」と渋い顔をして、「気持ちは分かるけど、現実問題、この生活スタイルになるよね」と、やっぱり結論は変わらなかったのですが、私の中の納得度は格段に上がりました。

自分の中の理想に囚われたりして、結果的に目の前の夫そのものを見ずにストレスを感じてしまう、というケースは結構多いんじゃないかと思う。

もちろん、そういうのを感じさせない立派な旦那さんを見つける、というのがベストなのかもしれないし、そうしなかった自分が悪いという話なのかもしれない。でもさ、もう結婚しちゃったんだもん、子どもいるんだもん、いわゆる勝ち組のみなさんの分岐点だった「選ぶ」ところにはもう戻れない。

だったら、今の環境からお互いのベストを見つけながら、子供にとって居心地のいい家にしていくしかないんだよね。私一人が頑張ればいい、私が我慢すればいい、じゃなくて、私が考え方を変えたら楽になるかも、という感じ。

育児のストレス、の一番て結局これじゃないか?と思ったこと。 - スズコ、考える。

 

私はすべてにおいて、「対等」を求めていたんだと思います。得意、不得意を加味した「分担」はするけれど、家事も「対等」、育児も「対等」、仕事も「対等」。

それって考え方の単位が、「個人」なんですよね。DINKSなら、可能な生き方かもしれない。でも、私たちは「家族」の単位で考えなければいけない。もう2人だけの人生じゃない。子供が2人いる家族ですから。「家族」の単位で、旦那様と私の二人のキャリアを包括的に考えなければいけないですよね。

 

「個人」単位でキャリアを諦める、という発想ではなく、「家族」の単位でキャリアを考える。そうやって考え方のスタートを変えると、「私、ホントに残業したいのか?」「ホントに出張したいのか?」とか、思うようになってきました。

 

不満に思っていること=私ができないこと、ではあるけれど、=私がしたいこと、ではない。(かもしれない。)ということに気付けただけで、ずいぶん晴れやかな気分です。

 

 

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