fashionを通していろいろ考えるblog

ファッションブログだけど、キャピっとしてないし、おしゃれではないです。

うんちく系女性ファッション雑誌、「LaLa Begin」

先日、うんちく系男性ファッション誌「Begin」に女性向きの別冊が、とうんぬんかんぬん書きましたが、なんとホントに発売されてた!!

でもまぁ、タイミング的に考えると、別冊が好評→独立化ではなく、そもそも「LaLa Begin」の企画があって、ジャブ的な前振りとして別冊をさしこんだんだろうな。 

 

LaLa Beginのお気に入りポイント

別冊「女子ビ手帖」というジャブですら、「ぐ、ぐふ・・・!」と反応してしまった私ですので、「LaLa Begin」はやっぱり好みの雑誌でした。ファッションのテイストも好きですが、企画の切り口、編集の仕方が、今までのファッション雑誌にはない感じでとてもよいです。

 

・「素敵女性像」の押し付けがない

今のファッション雑誌に、息苦しさを感じる一番の理由がこれ。まず、「素敵女子像」の理想があって、それに対してファッションやら生き方指南やらをアプローチするというスタンスの雑誌、けっこうありますよね。『AneCan』 『VERY』あたりの赤文字卒業生系雑誌が分かりやすい例でしょうか。

『VERY』は紹介されているスタイルは好みなんですが、雑誌の根底にあるキラキラセレブセレブした「素敵女子像」目線の言葉使い、編集、生き方特集に、なんとも言えない疎外感を感じるんですよね。私、文化系女子なんで、そもそもVERYのターゲットなんかじゃないことは、百も承知ですよ。でも、VERY的ファッションは好きなんですよねぇ・・・。

「LaLa Begin」だって、もちろんターゲットの想定はあるでしょう。いろんな記事がありますが、雑誌全体を通して共通するイメージ像はほんわかと感じます。でも、分かりやすい「素敵女子像」の提案はありません。特集されているモノが好みかどうかで判断ができるというのは、選択権がこちらにあるという意味で自由さがあります。

 

・ヒトではなく、モノ主眼の編集

さきほどの話の続きになるのですが、前述の雑誌はヒトに主眼を置いた編集なので、かつてはカリスマ店員、今は読者モデルやおしゃれブロガーといったヒトに注目が集まります。だから、雑誌が取り上げるイイモノは、「モデルの○○ちゃんが持っている」だったり、「おしゃれブロガーの○○さん愛用」という紹介文句になります。ヒトがブランドになるわけです。

そのこと自体が悪いことだとは思いません。モノを買うときの判断材料の1つです。でも、そのヒトの価値観と私のそれは、必ずしも一致しているとは限りません。ヒトでモノを判断するということは、選択をヒトに委ねていることと同じです。

「LaLa Begin」はモノに主眼を置いた編集だから、モノ勝負です。そのモノがイイモノかどうかは、私の基準で判断することができます。その手助けをしてくれるのが「LaLa Begin」的うんちく。ブランドヒストリー、制作秘話などを知った上で購入ともなれば、愛着もひとしおです。

 

 

・ファッションと雑貨(モノ)が並列関係である。

ライフスタイル提案型のショップが増えている、という流れと同じで、ファッションだけを語る時代ではないということです。ん、いや、違うな。生活雑貨にもファッションが宿る時代、の方がしっくりくるか。その構成バランスがすごくよくて、とっても今っぽい感覚かと思います。

 

 

・持ち運びできる小さめサイズ

 

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こんな感じで、普段のカバンにすっぽり入ります。小さめサイズの雑誌、少しづつ増えてきましたね。雑誌はカフェでコーヒー片手に読みたいもんなぁ。こういう配慮もうれしい。

 

というわけで、お気に入りの雑誌ができてうれしいです。

初回ということで、けっこう守備範囲を広くとった印象があるので、ぜひ次は本家『Begin』でやったスニーカー特集みたいな、もっと深めなうんちくを読みたい・・・!

 

 

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