「オシャレと流行の関係」を改めて考える。
前回の続き。
マチ子(id:machibamachiko)さんとの公開往復書簡、私のお返事です。
「オシャレな人」ってどんなヒト?を一緒に考えてくれる人、大募集! - fashionを通していろいろ考えるblog
前略 街場マチ子様
お手紙、ありがとうございました。マチ子さんがおっしゃりたいこと、痛いほど分かります。マチ子さんが感じている疑問は、ファッション業界の外から見える景色に限ったものでなく、業界内の人間も感じているところだと思います。少なくとも私は大いに共感しました。というか、ぶっちゃけの感想は、「あー、言われちゃったなー。そうなんだよねー。」です。
マチ子さんの手紙に出てくる様々な疑問は、「オシャレと流行の関係」が根っこにあるのかな、と思いますので、そこを中心にお返事したいと思います。
ファッションにおける「流行」って何?と問われれば、新しい服、着こなしが広く社会に受け入れられ、広がっていく現象、ただそんだけ、です。それ以上でもそれ以下でもない。どんな時代でも、時が経つということと、「流行」が生まれては消えていくことは、セットになっています。
ただ、今はインターネットの発達で、ファッション雑誌のような既存のメディアを通さずとも、個人レベルで世界の情報を瞬時に知ることができるようになった時代です。情報の流通形式が変わったことで、「流行」の伝達スピードが格段に飛躍し、「流行」という情報を知っていること自体に、さして貴重性がなくなりました。
となると、「流行」という情報への価値観も変化していきます。
かつて、洋服をたくさん持っていることが、おしゃれさんの証でだった時代がありました。全身をお気に入りブランドで揃えることが、最先端のファッションだったこともありました。そして、「トレンド」をいかに早く取り入れるか、という時代を過ぎて、「トレンド」をどう取り入れるか、が今のおしゃれさんかと思います。
ただ、「トレンド」という要素は、かつてほど、人の心を動かすものではなくなっています。それは、決して大人だけではなく、トレンドに敏感と言われる若い層でも、その傾向にあります。しかも、いわゆる「ハイファッション」、コレクションで発表されるような、トップダウン的トレンドだけでなく、ストリートから生まれるトレンド、例えば、今だとおしゃれブロガー発信のトレンドなんかも、人々に与える影響は、小さくなっているように感じます。
マチ子さんが言うところの「流行」は、この文章の「トレンド」とイコールだと思います。このブログでは「トレンド」という言葉を使ってきましたので、以下「トレンド」という表記にします。
"流行(トレンド)とは、ただの現象"とは書きましたが、トレンドは一種のパワーであり、世の中的な後押しです。ただ、トレンド自体は、個を魅力的に見せるものではありません。その力を借りるか借りないかは個人に委ねられています。
マチ子さんのお手紙に出てくる、某出版社の「女性ファッション誌から抜け出てきたような」オシャレさんの話は、このトレンドに対する価値観の変化を表す象徴的な事例で、私がことさらに説明しなくとも、みなさんが肌感覚で感じてらっしゃることなんだと思ってます。
"ファッション・ピープルが指す「オシャレ」と、一般人にとってのそれとの間"にあるのは、"何か深い溝"ではなく"視線のズレ"という表現をしたいと思います。深い溝はちょっと絶望的だから(笑)、同じ方向を向いていないだけと言いたい。
「トレンド」で消費を喚起するような表現をしても、人々の心は動かない。人々が向いている方向が少しずつ変化していることに、気が付いてはいるのです。でも、アパレル業界も出版業界も、儲けるためのシステムが構築されているから、その視線移動に対するフットワークがどうも鈍い。
今の社会は、ご存じの通り大量生産・大量消費が前提のシステムになっています。「トレンド」を定型化・マニュアル化して、多くの人に分かりやすく伝えるのには長けてますが、曖昧で個人に依存する「ムード」をビジネスとして表現する方法が確立できていない。
(「ムード」の意味はこちら:2013年、春のファッションキーワード:ムード編 - fashionを通していろいろ考えるblog)
トレンドではないけれど、着ている人を素敵に見せる「運命の1枚」をどうやって作るか、トレンドに頼らない切り口のオシャレをいかに伝えるか。現状に疑問を持ち、そういうモノを作り出そうとしている動きは、小さいながらも見受けられます。
私は確かに作り手側の人間ですが、それと同時に消費者でもあります。このブログでは、ファッション好きな1消費者目線で、新しい動きを追っていこうと思っています。作り手としてのジレンマを、ブログで晴らしてる感じです(笑)。
マチ子さんのお手紙の最後の疑問、"ある人の装いがファッション業界の方から見て「オシャレ」でないのなら、その人は「オシャレ」だということにはならないのですか?"は、間違いなく"NO"です。
確かに、時代のオシャレを提案するのはファッション業界であり、それを分かるように編集して伝えるのは出版業界ですが、それが「オシャレ」かどうかの最終決定権は、消費者にあります。最初の話と繋がりますが、インターネットの出現によって、消費者のイニシアティブはますます強くなっています。作り手都合の「オシャレ」ではなく、消費者1人1人の「オシャレ」に目を向けないといけない時代だと思っています。
最後に、ファッションに関する言葉を一つ紹介します。
「ファッションは生活をたのしんでいるのだという宣言で、自分がどう見られるかという問題だけでなく、他者へのもてなしに近い感覚がある。」
(この言葉を紹介した過去記事:ファッションの意味 - fashionを通していろいろ考えるblog)
この石田衣良さんの言葉が好きなのですが、個人的な思いを言わせてもらうならば、「オシャレ」かどうかは、それを見た他人様が決めることかな、と思っています。目指すべきは「生活を楽しむこと」であって、「オシャレ」は結果でしかない。これが、マチ子さんが言うところの、"ファッション哲学"なのかもしれません。
・・・こんなんでお返事になったでしょうか?
包括的かつ本質的な疑問なだけに、ずいぶんとお時間をいただいてしまいました。1つ1つの疑問を分解し、自分なりに整頓して、そこに対しての問いを、過去のブログ記事を見直して、再びまとめるという作業をしていました。1年の締めくくりに、こういう本質的な疑問と向き合うことは、私にとっても有意義なものでありました。そんなきっかけをくださったことに感謝しております。
マチ子さんのファッションライフに、少しでもお役になれれば幸いです。
草々
あとがき的な補足
マチ子さんのブログ経由で、この記事を読んでくださった方もいらっしゃると思うので、私の立場を明らかにしておこうと思います。
現職は確かに「ファッションデザイナー」ですが、つい今年の4月まで、産休・育休で1年ちょっと現場を離れていました。アパレル業界自体に勢いがなく、休みはもらったものの本当に復職できるかよく分からない状態で、さらに私の出産と母の病気が重なってしまい、精神的に滅入っていた時期を過ごしていました。昨年は「ファッションって何なのか・・・。」と迷走していた1年でした。
(迷走っぷりが反映されている過去関連記事:ファッションの力 - fashionを通していろいろ考えるblog)
そんな迷走期間を経て、ありがたいことにまた同じ現場でお仕事することになり、再び「ファッションとは何か?」「流行って何?」と向き合っています。そのために、アメーバからはてなにブログを引っ越しました。マチ子さんの疑問は、私がこのブログを通して考えていきたいことでもあります。
(ブログ引越しの経緯を書いた過去記事:アメブロからはてなブログに引っ越した、たった1つの理由 - fashionを通していろいろ考えるblog)
今回のお手紙では、「オシャレと流行の関係」に焦点を絞って書きましたが、このブログでは、「ファッション」「おしゃれ」「装うこと」に関する、今の私なりの思いを書いた記事は他にもあります。たくさんありますが、興味がある方はよろしければ。
ファッションの意味 - fashionを通していろいろ考えるblog
2013年、春のファッションキーワード:ムード編 - fashionを通していろいろ考えるblog
2013年、春のファッションキーワード:ムード編、その1 - fashionを通していろいろ考えるblog
2013年、春のファッションキーワード:ムード編、その2 - fashionを通していろいろ考えるblog
2013年、春のファッションキーワード:ムード編、その3 - fashionを通していろいろ考えるblog
脱・洋服、脱・ファッション。 - fashionを通していろいろ考えるblog
新しい生き方においては、衣食住ではなく、食住衣。 - fashionを通していろいろ考えるblog
今、Factelier(ファクトリエ)に心惹かれる3つの理由 - fashionを通していろいろ考えるblog
子供服をオーダーで注文する理由 - fashionを通していろいろ考えるblog
はー、年内に書き上げられてよかった・・・。多分、これが2014年最後の記事になると思います。それでは、よいお年を!
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