fashionを通していろいろ考えるblog

ファッションブログだけど、キャピっとしてないし、おしゃれではないです。

2年前と今、変わったこと、変わらないこと。

ここ数年、

自分の中で誕生日というものが以前のような特別感がなく、 さほど祝ってもらうべき日ではなくなってきた。

(もちろん、おめでとうと言われるのはとてもうれしいし、 むしろ、そんなんだからこそ、覚えていてくれたことに、 とっても感激するんだよね。)

なんでそんな風に思うのかというと、 別に歳をとるのが嫌だから、じゃないんだよね。 私が祝われる立場にある特別な日っていうよりも、 誕生日は両親から与えてもらったものだな~って思うからかな。 両親に命を与えられ、

母親の中で約10ヶ月間、自分で呼吸ができるようになるまで守られて、

この世に生まれる。

この新しい命に、1番最初に与えられるプレゼントが誕生日という記念日だなって、 最近、そんな風に思った。

ありがとう、我が両親。

まわりの人からおめでとうと言ってもらえる、

うれしい一日を与えてくれて、ありがとう。 でも。 母親側からすると、

子供に与えているという気持ちはこれっぽっちもなくて、

むしろ与えてられてるな、とまだ人間未満のお腹の我が子に思うのだ。

母性とか、無償の愛とか、

なんだか月並みな言葉しか浮かんでこないのがもどかしい。

お腹が大きくなっていくのと比例するように、

温かい気持ちが全身を覆う毎日を、何て言えばいいのかな。

ありがとう、まだ見ぬ我が子よ。 母親という、新しい人生のステージを与えてくれて、ありがとう。 私はいろんな人から与えられて生きている。

母親となる年に迎えた誕生日は、そんなことを気付かせてくれた日となりました。

というのは、今からちょうど2年前に書いた、mixiの日記です。

この時に思ったことは今だに変わらず、

変わったことといえば、お腹にいた娘は今はもう1歳9ヶ月になりました。

今年の誕生日は、旦那様は出張だったので、

実家でから揚げパーティーと相成りました。

お父さんもお母さんも、なぜかそれぞれがケーキを買ってきてくれて、

1週間ほど、毎日ケーキを食べました。

(最近、ようやくなくなった。)

そして、ろうそくが、なぜか3本立てられ、

お母さんの独唱による、ハッピーバースデーソング。

(お父さんと弟もいたけれど、一緒に歌うわけがない。)

暗い部屋の中、ろうそくの火とケーキを食い入るように見つめる娘。

その姿を見ていたら、誰もが一瞬、誰の誕生日なんだかわからなくなりましたが、

娘と2人でろうそくの火を消しました。

疑問符尽きない誕生日、まぁ、それも悪くないな。

(ろうそくが一番意味不明)

そんなこんなで、私は先週で31歳になりました。