とんがりAcorn
育休を機に迷走デザイナー入りしていましたが、もう踏ん切りついた!とりあえず、腹くくった!
業界としては成長産業ではないし、明るい話も聞かないし、むしろ悪い話しか聞かないし、世の中的にもファッションって必要なのかと、疑問に思ったりもしたけれど、でも、そういう外的要因はもう気にするのやめよう、自分のやりたいことで自分の生活をしていくんだ、とそう考えるようになりました。
人のためとか、正しいこととか、世の中が求めてるものとか、そもそも私みたいな不肖者が、そんな大それたこと考えたって手におえるわけがない。
自分のしたいこと、そして、できることをする。その結果、誰かのお役になれたらいいよね。
まぁ、普通に考えたらあったりまえのことなんですけどねー。
*****************************************
仕事に役に立つとか立たないとか、そういうこと関係なしに、ファッションの勉強をもう一度してみようと思いました。
以前書いたヨウジヤマモトのこと、さらっと知ったかぶった感じで書いてますが、その昔、ぼろぼろの真っ黒な服でパリコレに衝撃を与えた、日本でもDCブランドブームが起き有名になった、わさわさっとした長髪とひげ姿で、いかにも芸術家!って感じの風貌、くらいな、お恥ずかしい話、失礼な話、ホント表面的なことしか知らなくて。
それはアカン!
阿寒湖やろ!アカン警察やろ!
というわけで、その関連著書をいくつか読んでみることにしました。
「服を作る モードを超えて」 山本耀司
山本耀司さんは、デザイナーというよりも、表現者という方がしっくりくるなぁ、というのが3冊を通じて感じたことです。
時代の常識に、外部からの「ヤマモトヨウジ」像に、異論を呈する反逆心が原動力であり、その方法が、その道具が、ファッションというか、モードだった、と。
生まれた時代と環境がファッションの道へと誘っていっただけで、今の時代に生まれたならば、(まだご存命ですが)もしかしたら、ファッションではなかったのではないか、勝手ながらにそんなことを思ってしまいました。
モテを意識して装うことは「イタイ」ことだし、ファッションで自己を表現することは、「トンガっている」と言われる今、反逆心が宿ったヨウジの服を着こなすには、素敵に歳を重ねた人でないと、ムリだろうな。
正直、一言、時代じゃない、と言ってしまえばそれまでですが、(実際、2009年に一度、倒産してるんですね。)私はトンガっている人、嫌いじゃないです。
なんてったって、とんがりAcornだし。
ただ、そういう表現は、今やコミュニケーションツールとなっているファッションには、求められていない時代なんだろうなーってことは、企業デザイナーとして感じていることではあります。
「服を作る」はもう一度読み返そうと思います。
ヨウジの女性像や服に込める思いは、共感もあれば発見もあります。「壊すこと、創ること」は「服を作る」とかぶってくる内容だし、「たかが服」は哲学すぎてなんのことやら。
鷲田清一さんは哲学者で、哲学からみたファッションの著書がたくさんあります。かなーり昔読んで、挫折しましたが、今回も無理だったー。
↓FeedlyやTwitterでブログの更新情報を受け取れます。